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花の吉野・奈良県吉野山

吉野山キャッチ画像
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日本には、いくつもの桜の名所がある。スマートフォンの影響で、今まで脚光を浴びてこなかった地元民だけの花見場所のようなところまで発掘されて、その数は年々増えている。

しかし、そんな文明の利器が登場するはるか昔から、人伝て人伝てでいつの世も桜の名所と云われて来た場所がある。

・青森県弘前城公園
・長野県高遠城址

そして、奈良県の吉野山が日本三大名所として数えられている。
これから先、後発の名所が誕生し成長してきても、数百年続いてきたこの地位は揺るがないだろう。

ことさらこの吉野山に関しては、僕が桜の旅を始めたきっかけでもある。
大好きな映画「男はつらいよ」シリーズ中でも屈指の名作と名を挙げられる、「寅次郎物語」の劇中で、
「花の吉野」というワードが出てくる。その言葉が僕の中で印象深く残っていた影響で調べていたのだ。

それから13年、京都の祇園枝垂桜と共に、日本で唯2つ、僕が毎年桜の旅で訪れる大切な場所となっている。

吉野山のキャッチフレーズの中でも有名なのが、この「一目千本」だろう。
この凄まじいインパクトのある言葉は、何も近代の桜ブームにより作られた言葉ではない。

古今和歌集とか、もっと古い平安時代の書物にも、「一目千本」と詠まれていたそうだ。

そしてこの言葉の本当の意味というのは、決して桜が1000本あるという意味ではない。

その目に飛び込む、あまりの美しさを先人が「一目千本」と形容したのだ。
今で言う、「パワーワード」だ。見事な表現に恐れ入る。

この一目千本が観られる場所は、「吉水神社」の境内だ。https://g.co/kgs/1QmXh2X

なんだってそうだが、これは実際に観ないとその言葉の意味が理解できない光景だろう。
僕も毎年観ているが、その年によって全く観え方が違うので、自然とは如何に神秘なのかと思う。
僕など、ここで一句詠んでいる。

吉野山。嗚呼吉野山、吉野山。

パクリやん。でも、松尾芭蕉が松島でアレを詠んだ心情が理解できたのが、僕にとっては吉野山だ。
「言葉にならない」。

吉野山には現在、約30,000本の桜が在るそうだ。そしてその桜達は一春の間に、標高の低いところから高いところへと咲き上がっていく。

まずは下から、下千本。七曲坂(ななまがりざか)の山肌に咲く桜を眺めながら、10~15分ほど登っていく道中だ。

悲しいことに、車の人も交通機関で訪れる人も、この七曲りを歩く人はかなり少ない。中千本駐車場まで車で上るか、ケーブルで上がってしまう。ちょっとした登山になるから仕方ないけれど、僕は毎年、歩いている。

後述するけれど、夜間はライトアップしている。

次いで、中千本。吉水神社からの「一目千本」だけでなく、吉野山商店街を歩きながら、金峯山寺を抜け、上千本へと続いてゆく。

桜以外の、吉野山の文化的な面を見られ、もっとも観光客が多いエリアでもある。

日中は歩行者天国となり、車に気を取られることなく散策できるが、その時間が人のピークで、かなり混雑する。

そして、上千本(かみせんぼん)。

下千本から上千本までALL徒歩で歩いてくる人も、ここにたどり着けば疲れなど吹き飛んでしまうほどに美しい。

眼下の山肌から、春風に吹かれて桜の花びらが舞い上がるのを見たとき、吉野山は特別な場所になるだろう。

僕も、上千本が一番好き。よく、お昼寝しているよ。

最後が、奥千本。

大体みんな中千本と上千本の満開時期を狙うのと、奥千本は桜の本数が他の箇所に比べると少ないので、あまり訪れる人は少ない。奥千本行のバスが出ているので行くのは容易だけれど、もちろん歩くのも楽しい。

僕は道中湧き水を汲める場所をしっているので、歩いていく。

西行法師の庵が、到達点となる。

吉野山の魅力は、桜だけではない。僕が毎年吉野山を訪れる理由の一つが、桜を見ながら食べ歩きが出来るこの商店街の存在に在る。

肥沃な山の恵みを擁する吉野山には、吉野葛料理、柿の葉寿司、たけのこ、豆腐、川魚、奈良漬、草餅、地酒など美味しいものが溢れている。

僕は毎年吉野山を訪れるたびに、ひたすら食べて歩いている。桜もちゃんと見ているが、死ぬほど食う。
多分毎年、3,000円は使うんじゃないかな。価格帯200~500円の食べ歩きで3,000円というのは、もはや病気だと思う。それほどまでに、吉野山の食べ歩きはレベルが高いのだ。貧しいなりにやっかいなグルメ舌を持つこの僕が、食べ歩きエリアで日本一だと思っているのが、ここ吉野山商店街なのだ。

柿の葉寿司(かきのはずし)を知っているだろうか?

奈良県のお土産や郷土料理として有名なのだけれど、発祥はなんと、ここ吉野山なのだ。

防腐効果のある柿の葉で鯖や鮭のお寿司を包み、保存期間を長く保たせる山間部民の知恵だったらしい。

その柿の葉寿司の究極に美味しい食べ方を教えよう。地元民もビックリしていた。

そのやり方はいたって簡単。食べるときに、両手のひらで柿の葉寿司を囲って、思いっきり香りを吸いながら食べるんだ。

柿の葉の芳香が鼻から喉に抜けていくのを確かめながら、お寿司を噛む、噛む。僕は、上千本でのランチタイムでこれをやっている。景色と香りが、美味しい。

僕はもう、13年連続で吉野山へ来ている。駐車場や駅で渡される観光マップなど見なくても、吉野の山の道は庭の如く歩いて回れる。

吉野山の観光ルートは、奥千本まで続く坂道をひたすら登るだけだから、結構簡単だ。しかし、人と違う景色を見たいと思うのが、旅人の性というものだ。

何年目の訪問からか、僕はルートから外れて山道へ入るようになった。観光客はほとんどおらず、頼みの綱のGoogleMapでももちろん道など出ない。

最初こそ恐怖したが、慣れてしまえばなんということはない。いずれ歩き慣れた道に出れば、すぐに本線復帰できる吉野家までの経験値が、僕には在るからだ。これは、自分自身以外にも役に立っている。

山の中を歩いていると、たま〜に観光客に遭う。僕と同じワザと観光ルートから外れている人なら良いのだけれど、大抵の場合は好奇心から山中に足を踏み入れてしまった人だ。主に、外国人が多い。

観光マップも、GoogleMapでも抜け出せない山中で、迷える外国人たちを何度助けたことだろう。

みんな、サンチューベリーマッチと言って、去っていく。

そんな山中の散策で、ここ最近で気に入っているのが、吉野の峰々に沈む夕日だ。

吉野山の千本桜を朱色に染めて、街灯などない山中から徐々に光を奪っていくその夕景は、
切なくも誇らしげに吉野山での桜の旅に有終の美を飾ってくれる。

残照まで見送ると、帰り道真っ暗で超怖い。マジ怖い。

毎年訪れる吉野山。その楽しみはもちろん桜、そして食べ歩きも在るのだが、
同じく毎年欠かせないのが、吉野山に住む人々との交流でも在る。

流石に13年間、ギターを持って登っていると顔なじみも、そりゃ出来る。
中でも、吉野山初訪問のときに初めてお話した現地民であり、今でもお世話になっている方がいる。

前世がフランス人である僕と、なんの会話の流れかフランスの話になったおばちゃまがいるのだ。
娘さんがフランス人と結婚して、フランスに住んでいるというのだから、なんか凄い縁だ。
なので、おばちゃまも少しフランスで会話ができるのだ。

僕は吉野山に訪れたときにこちらのマダムに必ずご挨拶をして吉野山の前に桜の旅をしたところで買ってきたお土産を渡してから、山中に入っている。

そして夜に下山する途中でもう一度寄り、晩ご飯を御馳走になってからお礼に一曲歌って帰る、というのがいつもの流れになっている。

これは吉野の郷土料理の一つ、「茶粥」だ。

おばちゃまとフランス語混じりの日本語を交わして、翌年の再開を約束してお別れする。

お互い、メルシィとボンジュールしか言ってないけどな!

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