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今年は石川県へ!We Love 能登半島!!

石川県キャッチ画像

ずっと、もっと、能登

目次

親愛なる石川県

色々書く前に、まずはこの度の能登半島地震で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。

僕も、東日本大震災の被災者の一人だ。当時被災地で写真を撮っている人がどんな目的で撮影していたかわからないけれど、見慣れていた風景がなくなった跡をバシバシ撮影している人を見かけたときは怒りが湧いたものだ。

血の気の多くなった今だと、もしかしたら感情のままに手を出してしまうかもしれない。
なので僕も、節度も持って発信していきたい。

これまでに僕は、能登半島を5周している。初めては2010年の8月で、訪れたすべての場所、人との出会い、食の発見、そして一生忘れなれない景色の数々を今でもよく覚えている。

それ以後も初訪問の時の感動を思い出したり、恒例の桜の旅や、はたまた成り行きなどでも周遊してきた。
特に金沢市は能登半島を一周までしないときでも、観光や他の目的のために何度も、そう10回は訪れている。

そんな僕も大好きな石川県が、再度の大きな地震に見舞われてしまい、日本中から無事を案じる声と復興を願う声が集まっている。

僕も震災発生当初から、自分にもできることはないかと考えて色々やっている。
何度も石川県・能登半島を訪れた僕にも、誰にでも、一助になれることがきっとあるはずだ。

今年は石川県をたくさん旅して、魅力の発信をしていきたいと考えている。
すでに日本中、世界中で多くの人達が同じ想いで行動を起こしてくれている。僕も、それに加わりたい。

みんなで、能登半島を応援しよう!

石川県は桜の県!一ヶ月以上も桜を愛でられる!!

ふるえ建設さんのしだれ桜園の様子
古永建設さんのしだれ桜園

僕は毎年春になると、桜の旅をしている。日本全国を行脚して愛する桜の花を愛でているのだ。
日本中至る所にお気に入りの桜があるので、体がいくつあっても足りないくらい忙しい。

僕の住んでいる京都は桜の街として国内外に知られ毎年、おそらく世界一桜を目当てに訪れる人の数が多いだろう。

そんな京都に住まう僕でも、桜の県と認める県、町がある。その一つが、石川県だ。
誰しも金沢市の名勝・兼六園や金沢城の桜を思い浮かべると思う。でも、そこだけではない。

市中は他にも屑川(さいがわ)の河川敷に長い桜並木があったり、松月寺さんのように有名な一本桜もある。

金沢市から北上すれば、能登半島には桜の名所は枚挙にいとまがないほど多くの桜がある。

特筆すべきは、一つの花に100枚以上の花びらをつける「菊桜」系の固有種が多いことだ。
輪島市の阿岸本誓寺さんのアギシコギクザクラや、穴水町の来迎寺さんにあるライコウジキクザクラも見事だけれど、
筆頭になるのは、やはり兼六園にある、「兼六園菊桜」だろう。京都とも縁が深い菊桜だ。

菊桜は遅咲きの品種なので、例年4月下旬から5月の初旬が見頃となる。
そのため、早咲き品種の河津桜や春めき桜から追いかけると、実に一ヶ月半もの間、
石川県は桜を追いかける事ができるのだ!

2018年の春にも、石川県で桜の旅はしたのだけれど、今年はまた違う気持ちと立場で、
桜の季節の石川県を何度か訪れている。

そのうちいくつかの桜は、個別で記事を書いていこうと思う。
いつかの春に誰かが訪れてくれることを願う。

石川県は食の県!美味しいがいっぱい!!

石川県の食べ物といったら、何を思い浮かべる人が多いだろうか。

有名なのどぐろをはじめとした新鮮な魚介類、アルミの皿にキャベツと盛り付けされた金沢カレー、北陸の食材を使った金沢おでん、金沢ならではの金箔ソフトクリーム、金沢のB級グルメであるハントンライス・・・

他にも香箱蟹、能登牛、寒ブリ、加賀野菜医など石川県フリーク達が語りだしたらキリがないほど、石川県は食材に恵まれそれらを使った豊富な料理の数々はまさに語り尽くせないほど。

お酒にしたって、天狗舞や山廃仕込の常きげんなどの銘酒のほか、能登ワインもある。

旅行の醍醐味としてご当地グルメを楽しみにしている人にとって、金沢・石川県は一度の訪問では食べ尽くせないほどの美味しいものだらけだ。

石川県は文化と大自然の県!楽しいが、いっぱい!!

既出の兼六園や金沢城のほか、石川県は毎年多くの観光客が訪れる北陸最大といっても差し支えない県だ。
(でも僕も、福井も富山も新潟も大好きさ!)

そんな石川県は金沢市だけでなく東西南北に訪れる人に沢山の思い出を残してくれる魅力的な場所が詰まっている。

石川県は縦に長く、腕でOKマークを作ったような形をしている。
僕からは、東西南北それぞれに一箇所ずつピックアップしてみたい。

石川県の形の画像
石川県はひと目見てどこの県かわかる形をしている。

石川県の東側!千里浜なぎさドライブウェイ!!

石川県と言ったらココ!という人も多いだろう。特に愛車を持っている人にはあこがれの場所でもあるだろう。

そう、この千里浜なぎさドライブウェイは、なんと車両の乗り入れと砂浜での走行が可能なのだ!

・・・知らない人には、こういっても結構伝わらないことが多い。これは、写真を見たほうが早い。

千里浜なぎさドライブウェイに乗り入れた車

砂浜に、車の乗り入れが可能なのだ。見たことがあるようでない光景だと思う。メディアのコマーシャルなどではなく、自分の車がこうなるのだから映え感はハンパない。現に、すぐ後ろにある海を背景に愛車の写真を撮りまくっている人を必ず見かける。

この千里浜なぎさドライブウェイのように砂浜への車両侵入が許されて更に走行まで出来るのは、ここが日本で唯一だと云われている。実際には他にもあるのだけれど、千里浜のように長い距離走れる砂浜は、他にはないはずだ。

楽しみ方は人それぞれ。もちろん僕も写真を撮ったり波を切りながら車で走るのも好きだ。ただ、それ以上に、僕がココを訪れる理由がある。それは、旅の途中でここ千里浜の「波打ち際に車を停めて仮眠する」ことだ。

窓を開けて寝ていると、波音にさらされてまるで海の中で眠っているかのような感覚になる。
そして、眠りから目覚めたときには体内の不浄なものが取り払われたかのようなとても清々しい気持ちになっている。これが、最高に気持ちいい。

波音は、母親の胎内音に似ているという。人は皆、母親のお腹から生まれてくる。
だから海に行くと落ち着くというのは、人間の摂理なのだろう。

2024年。幾度となく石川県を訪れる中で、その多くの夜を僕は千里浜で過ごした。もちろん、この最高の睡眠を得るためだ。しかし、ある日ここで僕は大きな学びを得ることとなる。

いつものように千里浜で眠り目覚めた朝、車を走らせようとしたのだけれど、アクセルを踏んでも前に進まない。
何事かと思って、というかすでに嫌な予感がしてドアを開けたのだけれど、その予感は的中していた。

千里浜の砂に埋まった僕の車

タイヤが、砂浜埋まってしまっていたのだ。かれこれ千里浜には10回は来ているはずだが、こんなことは初めてだった。自力で抜け出そうとあれこれもがいてみたけれど無理だったので、結局JAFを呼んで引っ張り出して助けてもらった。

被災地にお金を落とそうとは考えていたけれど、こんな形で大金を使うことになってしまうとは・・・

JAFのスタッフさんに尋ねてみたところ、よく同じように車が砂に埋まるそうだ。慰めの言葉かとも思ったが、この話が本当であることを、僕はその日のうちに目の当たりにすることとなる。

その日の夕方。懲りずに千里浜を再訪して夕日を眺めていたら、僕のすぐ近くで軽自動車が砂浜にタイヤを取られた。
乗っていたのは若いカップルで、そのうち女の子が降りてきて後ろから車を頑張って押し始めた。

女の子の力ではどうにもならないだろう。僕はすぐに駆けつけて、今朝自分も埋まったばかりであることを冗談交じりに話しながら車を押して救出してあげた。

「これは、きっとめちゃくちゃ感謝されるぞ」とほくそ笑みながら転回して戻ってくる車を見守っていると・・・

「あざ〜す」・・・そう言って、目すら合わさずに走り抜けていった。

想いって、伝わらないな・・・そう思いながら沈む夕日を見送った。

千里浜で夕日を観ている画像
過去一晴れた、夕方の千里浜だった。

石川県の西側!能登島!!

能登島(のとじま)とは、石川県の七尾湾に浮かぶように突起した部分の小島だ。能登島水族館ツインブリッジなどの名所がある。

この周辺は七尾湾といって、本っ当にお魚が美味しい。東北の、魚が美味しいことで有名な県出身の僕が生まれて初めて心からお刺身が美味しいと感動したのも、能登島近海で獲れた地魚だ。それ以来、旅の楽しみとして海のある町では地魚を食べるようになった。そんな今でも、北陸のお魚の美味しさは誰にでもオススメしているほどだ。

食べること以外でも、海を観ながら車を走らせることの爽快感はもちろんだけれど、能登島は地域の方々のお陰なのか、道行く道に花が多く目に入る。これは、また暖かい時期に上陸して確かめてみようと思う。

能登島に入ること無くして能登半島一周とは言えないので、ぜひぜひ行ってみてほしい。

大変気の毒なことに、此度の自身で能登ツインブリッジは長らく通行止めになっているけれど、和倉の能登大橋のほうから上陸できるよ。

石川県の南側!花の百名山・白山!!

石川県のイメージと聞いて、金沢の歴史やアート、グルメなど文化的な面が石川県の魅力と思っている人は多いと思う。それはそれで正しいのだけれど、石川県にはたくさんの大自然も広がっている。

輪島の白米千枚田や珠洲市の見附島といった景勝は眺めるほうの自然だが、ちゃーんと身体を使う自然もあるんだ。

その中でも僕のオススメで、日本百名山にして「花の百名山」と称され多くの登山家を魅了している山がある。

それが件の、「白山」なのだ。年間5万人を超える来訪者がおり、特に7月の登山シーズンには高山植物の宝庫となる。もちろん僕も登頂済みで、山より深い思い出がある。

最初のアタックは2016年。白山という山、というか登る前にありとあらゆる山のことをたいして調べずにいきなり挑む僕は、5月の白山にギターと500mlの水一本、履物は靴底の死んだスニーカーという装備で登り始めた。

雪山でもかなり快調に進んでいたが、七合目途中から、どうあがいても進めなくなった。靴底がツルツルなので、ギターの重みで雪道を踏みしめて歩くことが出来ないからだ。諦めて下り始めたときにその場で出くわした登山者からのリクエストを受けて山中ライブで一発歌ってから、ツルツルの靴底を巧みに利用してスキーのように滑って下山した。屈辱のリタイアだった。

時は流れ、2回目のアタックは2022年。旅の途中で出会って以来とても親切にしていただいている福井県の登山家チームに誘われて、初めてパーティーを組んで山登りをした。

雨予報雷注意報のなか決行となったが、そこは僕、超晴れ男なので登り始めから晴天に迎えられ、室堂という山頂の山小屋目前までは青空に守られてみんな避難ができた。道中は花の百名山を堪能し、ニッコウキスゲやクロユリも観れた。

(この白山内のクロユリ、実は近年非常に遭遇率が下がっていると聞いた。原因はコロナ禍で山の暗黙のルールを知らない人々が摘んでしまったためだといわれている。)

翌朝は厚い雲で覆われていたが、僕は晴れ男だ。僕が登れば、空はきっと晴れる。
そう信じてギターだけ持って出発し、登っていくほどに空は晴れ、ご来光の時間からは外れてしまったけれど、無事に晴天の青空の下で登頂し、山頂ライブをブチかますことが出来た。

石川県の北側!能登半島!!

これだな。ズルい。
ここで改めて「能登半島」がどの部分にあたるかを確認したい。

能登半島の位置画像

石川県のほぼ半分が、能登半島ということになる。東西南北とは一体なんだったのかという話になるが、石川県の北側には違いないだろう。今回大きな被災をしてしまった地域の中から、

  • 輪島市
  • 珠洲市
  • 志賀町
  • 穴水町

この地域のオススメを紹介したい。詳細は僕が口コミを書いたGoogleMapのリンクを貼るから、よかったらそれを読んで見てほしい。

輪島市からは、白米千枚田(しろよねせんまいだ)。初めて能登半島を一周したとき、一番感激したのもここ。
青空の下で、風に揺れる稲穂を眺めるのもいいけれど、僕はここで、夕日を観るのもとても好きなんだ。
https://maps.app.goo.gl/pucu8goE8UaectAX8?g_st=ic

珠洲市は見附島も好きだけれど、禄剛崎灯台だ。ここも夕日を観るために訪れる。今年は、ようやく桜を観ることも出来た。
https://maps.app.goo.gl/Gw9RijC65LjGuzHP9?g_st=ic

志賀町は、好きなところがありすぎる。でも一つ選ぶとしたら、世界一長いベンチのある、増穂浦だろうか。
https://maps.app.goo.gl/cuLaJEFGkv82ofuJA?g_st=ic

穴水町は、今年初めて訪れることが出来た桜の駅、能登鹿島駅だ。好きになりすぎて、4週間連続で行ってしまった。
https://maps.app.goo.gl/uZeJmHkxX2AoNgP66?g_st=ic

まだまだ沢山、語りたい名所がたくさんあるのだけれど、それはまた、個別に書いていこうと思う。

僕の石川県応援

今年は、石川県。

元旦の能登半島地震から、そう心に決めてGoogleマップに書き込みをしたり、石川県民のソウルフード「とり野菜みそ」を人に配りまくったりしているが、もう一つ僕がしているのが、災害ボランティアへの参加だ。

きっかけは、東日本大震災のあと故郷に帰るたびに他府県ナンバーの車両が沢山走っているのを見て、災害ボランティアという存在を初めて意識したことだ。自身が被災しなければ、知っているだけで参加しようとまでは思わなかったんじゃないかと、今でも思う。

東日本での被災当時はボランティア活動に参加が出来なかったけれど、それから2016年に起きた熊本の地震のときに初めてボランティア活動に参加をした。それ以来、災害が起きたときには行けるとき行けるところにボランティアに参加するようにしてきた。

石川県には、2月の初旬からだいたい毎週能登半島の災害ボランティアに参加させていただいている。

意識しているのは、訪問したお家の方に声を掛けること。石川県にボランティア参加する前の1月末に、僕は東北の被災地を訪問して復興した町々をこの目で見てきた。そのことを被災者に伝え、「必ず能登も復興する」ということを念押ししている。

被災が僕を変えた。変えさせてくれた。

僕は現地で、被災者の強さを目の当たりにしている。きっといつかの僕と同じように、それ以上に、
此度の被災から立ち上がり、新しくより良く強い能登半島が復興すると信じている。

今年は、石川県。僕もできる限りのことをする。たくさん旅をして、もっともっと石川県を、北陸を好きになる。

みんなで一緒に頑張ろう、能登半島!!

能登半島災害ボランティアの活動写真
かつて被災を経験した僕が、今では災害ボランティアをし、リーダーを買って出る。
人は変われる。幸せはいつでも、未来にある。能登に届け、元気玉!!
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