暮れゆく空の中へ
沈む夕日に心救われて
日本一の夕日。インターネットでこう検索すると、いくつもの名所が表示される。
人それぞれ感性が違うのだから、ひとえに「日本一」とは決められないものだけれど、僕にはおそらくこれから先も更新されることはないであろう、自分の中での日本一の夕日がある。その景色と、旅した道のりを書いてみよう。
本来の目的は、氷見市でのサイクリング
僕はクロスバイクを所有していて、月に一度はギターを背負ってロングライドをすると決めている。
このときはたまたまテレビ番組で安田大サーカスの団長さんが富山県氷見市から高岡市の新湊大橋を目指すコースを走っていた。
それまでの僕は富山県は行ったことがある程度で、心に刻まれるような旅をしたことはなかった。
そこで、自転車が入るような車、日産のキューブをレンタルして、石川県千里浜なぎさドライブウェイを経由しながら氷見市へと入った。
サイクリングは爽快で、北陸の美味しい食べ物を頬張りながらのんびりとゴールした。
その時の旅のことはGoogleMapに投稿しているから、良かったら読んでみて欲しい。
起点にしたのが道の駅・氷見だったのだけれど、そこにある観光案内板のある紹介場所に目がついた。
画像いっぱい橙に染まる散居村という初めて知る場所に興味を惹かれ、サイクリングを終えて間もないまま僕は南砺市にある散居村展望広場を目指した。
迫るタイムリミット、ピークタイムの富山市を抜ける
朝にしか見れない雲海や朝焼け、日中の明るい時間だからこそ輝く花。当然、夕日も一日の中で夕刻にしか観られない・・・
元々予定をしていなかった散居村に、その日のサイクリングを終えた17:30過ぎから向かうというのは無茶な行動だったと思う。
5月初旬で日の入りは19:00頃。落ちてゆく陽の光を観たいので18:30には到着したものだ。道の駅・氷見から散居村展望広場まではGoogleマップで約一時間だけれど初めて行く道。間に合うかどうかギリギリだった。
飛ばせば間に合うか、とも考えていたが高岡市の交通事情を知らない僕は面食らった。結構混むのだ。追い越しをかけながら急ぐ最中も、タイムリミット的には間に合うか本当にギリギリだった。
でも、あと10kmというところで、先行の高齢者マークがついた遅いセダンに速度を阻まれてしまった。砺波市内で片道一車線。もちろん僕のエゴで追い越しなど出来ない。僕は泣きそうになっていた。
もう間に合わない、何度もそう思って諦めかけたが、散居村展望広場は川内五郎丸線から山田湯谷線という山道の上にある。ここは、人里ではないのだ。先行のノロノロ高齢者ドライバーと、ついに離れることが出来た。
そのあとは車を酷使するような運転になったけれど、みるみる予定到着時間を縮めながら散居村に近づいていった。
田園風景に沈む夕日、自然と流れる涙
書き起こすとありきたりな道のりだけれど、僕にはとても困難な道のりで間に合ったことが奇跡に思えた。
駐車場に到着し車を降りると、死角からオレンジ色の光が漏れて辺りを照らしている。
いつも携帯しているモレスキンのミュージックノートとフリクションポイントボールペンだけを持って展望台へと駆け寄ると
橙の光を眼下の、田植えしたばかりの水田に映しながら、陽が沈んでいく最中であった。(田植えしたばかりだと水面が鏡みたいになって水田に夕日が映り込むのだ。稲の成長は速いから、5月初旬〜中旬が見頃、6月からは上のような景色にはならない)
あまりにも美しい光景だった。
僕は心から感動する瞬間をいくつか覚えているけれど、この時の散居村の夕日も、人生で感動した光景の一つだ。
このときはとてもショックな出来事が遭ってとても気持ちが沈んでいたけれど、人前では弱音を吐いたり本音を吐露しないように我慢をしていた中での、「最後の旅」という想いで臨んだ旅だった。
気持ちが陽の光にさらされることで溢れてしまったのか、夕日を観ながら、自然と涙が流れていた。
夕日を観て、泣きながら、僕はメロディーを口付さんでいた。
モレスキンノートの五線譜に書き起こしながら、沈む夕日を見送った。
翌年、感動を返しに再訪
夕日の感動体験・・・それまでも様々な場所でしてきたけれど、散居村ほど感動した夕景はそれまでもなかった。
旅地や風景に順位はつけないようにしているけれど、いろいろな名所で夕日を観てきた僕の中では、今でも散居村が日本で一番好きな夕日だ。
初めての散居村から月日が流れ住処を変えても夕日を求めるたび、観るたびに僕は散居村に心を引きずられていた。
それからしばらくあまり余暇の無い日々を過ごしていた僕だけれど、休みを作って次の年に散居村を再訪することにした。
前の年に夕日を観ながら作った曲が完成していたので、またあの夕景を観ながら歌いたいと考えたのだ。
二度目は学習していて時間にも余裕を持って陽が高い時間に散居村に来ることが出来た。
初訪問のときは夕日と作曲に夢中になっていたけれど、三脚まで立てて写真を撮影している人がとても多い。
刻一刻と色を変えながら沈む夕日を捉えるのに真剣な人達の中で歌い始めるなんて肝っ玉を、僕は持ち合わせていない。陽が沈むと、大半の人は帰路に立つことをよく知っている。僕は、残照が好きだから、同じ景色を見守りつつ人が減るのを待つことにした。
歌唱。心に灯る火、かけがえのない写真
やがて日は沈み、思った通り照り映える光を観ることもなく撮影機材を片付け駐車場をあとにする人々。楽しみ方はそれぞれだからそれでいいだろう。
でも僕は、残照、いわゆるマジックアワーのほうが好き。同じくその景色を狙っているわずか10人に満たないほどの人達が展望台には残っていた。
心苦しいが、これ以上遠慮していては夜になる。僕は申し訳ながらに、
「一曲歌っていいですか」と周囲の人達に同意を求めた。みなさん、快く了解してくださった。
僕の窮地に、心を救ってくれた大恩ある夕景・散居村。心からの感謝を込めて歌った。
歌唱中は何人かが残照をバックにした僕の写真を撮り続けてくれた。歌い終えると質問タイムが始まったので、ありのまま、昨年ここの景色に感動して作った曲を、恩返し込めてこの場所で歌いに来たことを伝えた。
興味を持ってもらえて、いい曲だと言われてとても嬉しかった。そしてその中のひとりが富山県内のアート関係の経営者さんだった。
歌唱後に記念写真撮影となり、金沢の大好きな傘職人さんにオーダーメイドで作って頂いた和傘をさしながらポーズを決めていたところを収めていただいたのが、僕が様々なメディアのプロフィールアイコンに使っているこの写真だ。
一生を変える日本一好きな夕日の観える場所で、一生大切にしたい写真が出来た。
散居村展望台には、今でも2~3年に一度は訪れている。たいそう混雑するようになりもうその場で歌えるような雰囲気ではないのだけれど、ここで観たあの日の夕日を、僕は一生忘れはしない。
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